「古代南九州 ~魂の大地~」想望記

太古、地球の営みにより形成された景観。 遥か昔、この大地で暮らしていた人々。 悠久の時を経て刻まれたヒストリー。 物換わり星移り、歴史は語られてきた。 空と海と山が一つになる「魂の大地」 新しい発見を求めて、「ふるさとを温故知新しよう!」 妄想から始まる、ふるさと再発見! 自由に勝手に「古代妄想」 共感するか、しないかは、あなた次第。

海上交易とマッチョな古代海人集団

 昨年夏(2018年8月)、長崎県佐世保市の離島、高島にある弥生時代の宮ノ本遺跡で古代史研究者を驚かせる発掘があった。それは、下半身に比べ上半身が異常に太い弥生人の人骨であったとのことである。(NHK NEWS WEB 記事参照)この骨の人物は「マッチョな弥生人」と呼ばれ、NHKの番組「クローズアップ現代」でも放送されていた。

 

マッチョな弥生人の骨は、高島以外にも長崎県の平戸や五島、そして熊本県の天草など、九州西北部の複数の島から見つかっていたことがわかり、彼らは海上交易を担っていた集団の舟のこぎ手であったと推測されている。

 

このマッチョな弥生人とは別に、九州北部の遺跡から貝製の腕輪を身に着けた人骨が発掘されており、こちらは権力者であろうとされている。権力の象徴を表す装身具の一つである貝輪。南の海にしか生息しないゴホウラやイモガイの腕輪が各地で出土しているそうだ。 

 

古代の日本列島で南海産の貴重な貝製品をめぐる需要と供給が発生し、その物流を担っていたであろうマッチョな弥生人は大海原をものともせず長距離を漕ぎ続けることで、腕の筋肉が発達、それに伴い上腕骨が異常に太くなったということだ。

 

貝の交易ルートは沖縄や奄美の島々から薩摩半島沿岸をへて北部九州を結んでいたそうだ。南さつま市金峰町の高橋貝塚では加工途中の貝輪や、九州北部で使われていた土器が見つかっており、交易の中継地であったことを物語っている。

 

縄文時代に遡れば、石器に使用された黒曜石も、産地から遠く離れた場所で出土している例が多い。伊豆諸島神津島の黒曜石は関東地方の各地に運ばれていたそうだ。

 

また、国立科学博物館「3万年前航海 徹底再現プロジェクト」の代表、海部陽介氏は、日本一マッチョな縄文人集団がいたという研究成果を発表している。愛知県田原市渥美半島)の縄文時代晩期の保美貝塚から見つかった男性の骨が異常に太いのは、外洋での漁労生活に加え、当時、石器の材料として重宝されたサヌカイトを求めて、積極的に海上交易をおこなっていたからだという。

 

九州でも霧島市上野原遺跡出土の黒曜石は、県外の大分県姫島・佐賀県腰岳・長崎県産などの物が多く見つかっており、このことから上野原など南九州の縄文早期人はすでに海上交易に乗り出していたらしいということがわかっているそうだ。

 

遥か昔から古代人は海上交易を営んでいた。それ以前に、日本列島へ移住した我々の祖先は海を渡って来たであろう。その大航海術を手漕ぎ舟により証明しようという実験が、前述した国立科学博物館の「3万年前航海 徹底再現プロジェクト」である。

 

壮大なロマンが証明される日が楽しみだ。

 

国立科学博物館「3万年前航海 徹底再現プロジェクト」のページ:

https://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/about/index.php